2007年10月17日
トロンハイム滞在(後半)
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ノルウェーには工科大学が1つしかない。その1つがここトロンハイムにあり,今回の滞在は実験のため。気候のためか,建物の間に透明の屋根がかぶせてあり,明るさを確保しつつ冬季には寒さ・雪にあわずに移動できます。
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週の後半はマ○タさんの家に滞在。マ○タさんの家族とjw氏と私。使用言語はスペイン語・イタリア語・ノルウェー語・英語・日本語の中から会話参加者に応じていろいろ変わります。
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大学の本館らしき建物。ちなみに東工大の本館も参謀本部のような建物でなかなかカッコイイのですが。
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土日の食生活は最悪。かなり遠くまで車でピザを買いに行かなければならない。arek氏と研究室の談話室で。
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マ○タさんの家で夕食の準備。みなさんかなりの日本通で,炊飯器はもちろんのこと,お茶もあってしかも低い温度で注意深く入れなければなりません。この家にいる限り,ノルウェーにあっても日本と同じような食生活が享受でき,生き返ったような心地です。
2007年10月07日
都落ち
トロンハイムには実験のため1週間滞在することになりました。生活水準はそれまでにくらべ天と地ほどの差です。
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小麦畑が広がる,フィヨルドを見下ろす小高いところにある大学の宿舎へ。気温は10度くらいで毎日雨が降ります。大学の事務室は3時までしかやっていないのすが(こちらでは3時ごろ仕事を終えるのは普通のようです。。),鍵を借りても場所をあまり丁寧に教えてくれない。行けばわかる,という感じで,見つからず2度聞きに戻ったあげく説明が間違っていた。
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週の前半を過ごすことになる,畑の中の一軒家。jw氏と2人で一部屋を借りる。もう一人この大学のPh.D学生になったばかりのイランからの留学生がアパートを見つけるまでの間長期に滞在していた。部屋にも問題が。2人を予約してあったが1人分はソファー。しかもシーツがない。当然問い合わせるべきところはないので,その日はそのまま寝る。翌日聞いたら,しまってある場所があるとのこと。この寮の値段は3泊で約4000円と安いのでそんなにサービスできないとのいいわけ。一言教えてくれるだけですむんですがね。
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食糧事情は大変悪い。昼はたいてい家からサンドイッチを持ってくる。冷たくてあまりおいしくないのだが,これ1個でも500円以上はするから驚きだ。ノルウェーではお昼をあまり食べないといわれていたので心配していたのですが,どうやら本当にあまり食べないようで,食べたいと思っても選択肢があまりないということのようです。夜は学食があるが,17時にしまるのでそれ以降も仕事をする人は16時半ごろ食べに行く。いちおう暖かい料理もあるが,種類は1~3種類くらい。間違いなく1000円以上します。
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食費があまりに高いので,ノルウェーの学生の標準的な夕食であるといわれたフローズンピッツアを購入。これは安い。翌朝のサンドイッチも高すぎるので,パンとチーズとハムを買ってつくることに。
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寮のキッチンでピザを温めて食べる。
当地出身のjw氏が言うには,日本と比べると「値段は2倍でサービスは半分」とのことです。残念ながら納得です。ホテル滞在中のクリーニングも異常に高いわりに品質に問題ありでしたし。中国あたりから日本に帰ってくると,日本の物価は高いなと感じますが,その分サービス・品質も高くて納得です。(最近の中国のサービスは大変良いですが。。)しかし,高くて品質が低いというのは納得できないものがありますね。
外国に来ると日本のよさがよくわかります。サービスの質の違いに関しては,社会構造の違いなのか,それとも精神論的なものなのかわかりませんが,いろいろと考えさせられます。ひとついえることは,我々はモノやサービスの品質にはウルサイ,ということです。その割にはもっと大きく,社会(政治とか年金とか金融とか)が提供するサービスについてはあまり文句を言わず,結果としてあまり優れていないようですが。
2007年10月03日
北緯60度越え
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列車は一路北を目指します。標高1000メートルを超える峠を通過します。背の高い木は生えないようです。
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このあたりは単線です。対向列車の通過待ちです。いちおうこの国の首都と第三の都市を結ぶ路線ですが。。日本では東京と大阪を結ぶ列車は1列車に1000人以上乗って10分に一本,十秒単位の正確さで運行していると話すと大変驚かれます。
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今回の最終目的地である,トロンハイム(Trondheim)に到着です。大西洋に面したフィヨルドの中にある街です。
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街の中心的存在,ニーダロス大聖堂です。北欧でもかなり由緒正しく重要な地位にある教会のようです。平成17年には天皇皇后両陛下がご訪問になったことで知られています。そのときは街の中心にある通りに赤い絨毯が敷き詰めらたそうです。
2007年09月28日
オスロ
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ノルウェーの国土は日本より若干小さい程度ですが,人口は500万人弱といったところで,横浜市と川崎市を足したものよりやや少ないくらいの国です。首都であるオスロも各種機能が非常にコンパクトにまとまっている静かな都市です。週末に入り,月曜日から始まる実験までの間しばし休息です。
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ノルウェーといえば極地探検。南極点(意外なことに近い北極ではない)に最初に到達したのは,ノルウェーのアムンゼンです。オスロにあるフラム号(保存されている)は,北極の流氷に閉じ込められたときに壊れないように(氷上に浮き上がる?)設計されていて,実際に北極の流氷に3年閉じ込められて北極を横断したそうです。
ちなみに,南極点は陸地上にあるのでいろいろと施設があるらしいんですが(写真参照),北極点は現在,北極海の海底にあるため,海底もしくは海上にある流氷上が北極点ということになります。この流氷もそんなに厚いものではないらしく,砕氷船などでごりごりと進んでいくことができるようです。こんなツアーもあるようで,南極に比べると一般人でも到達の可能性がけっこうあります。
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オスロで食べたサーモンのステーキ。普段,松○で食べる朝定食の鮭とは比べ物にならない,厚さ・脂ののり方。その他オスロでは,ムンクの「叫び」を見る。一応,定番ですから。知らなかったことだが,このような有名な絵ですが同じものが4点あるそうです。
2007年09月24日
デンマークからノルウェーへ
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海の上にも風車はあります。日本に比べて漁業権とかが問題にならないんでしょうね。
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この後よく食べることになる「オープンサンドイッチ」。何の変哲もないパンの上に海老とマヨネーズ。サーモンの場合もあります。こんなものが1000円以上します。
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船は北上してスカンジナビア半島の南側のへこんでいるところに入っていきます。目指すオスロはこの湾の奥のさらにフィヨルドの最奥にあります。
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船はかなり広く,複数のダンスホールなどがあります。今回の航海は昼間でしたが,生演奏やっていました。こちらの人は年配の方もみなさんふつうにダンスができるようです。サクラではないかと思われるほど決まっているカップルも。レストランもたくさんありお勧めです。
ちなみに,免税店というのが乗客の関心事のかなりのウェイトを占めているようでした。税金が高いからでしょうか。夜行の場合は若者がわざわざ船に乗って酒盛りをするそうです。しかし免税店というのはどうして免税になるのかいまいち理由がわかりません。税法上はどこの国にも属さないというのはわかりますが,結局買ったものは船内・機内で消費してしまうわけではないし。どういう人がこの特別なエリアで商売できるんでしょうね。役所の権益かなにかでしょうか。
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オスロの町は一国の首都とは思えないほど静かで,高層ビル的なものはありません。
2007年09月21日
北ユトランド半島の風景
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成田から到着したままの服装ではきわめて寒い。9月2日ですが気温は10度以下と思われます。北欧出身のjw氏も久々のヨーロッパのため気温を読み違えていた模様。
ここで5日ほど国際会議のため滞在。最大の仕事は自分の発表ですが,なかなか好評だったようでよかった。スライドの中に若干の(スペースなど?)日本語フォントが入っていたらしく,会場のPCでうまく表示されずに焦りましたが。またこの後予定されているノルウェーでの実験の関係者と会ったり,研究室の出身者とも会います。ちなみに出席者は約1000名でしたが,そのうち100人以上が日本からの出身者です。
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かなり古い歴史的建物の地下にある酒場。日本人率が結構高かったです。
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Aalborg駅から鉄路北へ向かいます。ユトランド半島のかなり北のほうにあるFrederikshavn(フレデリクスハウン)まで約1時間半。
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デンマークは風力発電の導入がかなり進んでいる国です。車窓からは牧草地とかなりの数の風車が見えます。
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FrederikshavnからはノルウェーのOslo行きフェリーに乗船します。こちらではフェリーが結構メジャーな交通手段のようです。地形的にもスカンジナビア半島に行くには船が合理的ですね。ノルウェーはEUに加盟していませんがシェンゲン条約加盟国なのでパスポート・コントロールはありません。
2007年09月20日
スカンジナビア航空でボンバルディア機に搭乗
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9月1日,成田発Copenhagen行きスカンジナビア航空984便。エアバスA340,4発のジェットエンジンが赤くペイントされている素敵な機材です。燃料満載ですから離陸滑走距離が長くなり非常に緊張しますが,機械が最高性能・最高出力(に近い)で運転しているのを感じるのは技術者としては心地よいものです。
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Copenhagenからはデンマーク北部の都市Aalborg(オールボー)へ,SK1221便。高知空港での胴体着陸で有名になったボンバルディアDHC-8-400型と思われます。主翼が胴体の上部にあるので,客席からの視界がよく,また降着装置(車輪など)が見えて結構なんですが,そのぶん主脚が長くなっています。
これが問題かどうかわかりませんが,その1週間ほど後に同Aalborg空港で同会社の同型式機で着陸の時に主脚を破損する事故がありました。気をつけようがありませんが,やはり飛行機に乗るときには心してかからねばなりません。
国土交通省からの文書
http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha07/12/120912_2_.html
2007年09月10日
今日の数字
ヨーロッパの秋は早い。9月1日にデンマークに到着したときにはあまりの寒さにびっくりしました。季節はもう東京の11月の気温といった感じです。ジャケットが必要,セーターがあるとよいです。デンマークにいるときノルウェーの予報最高気温8度(摂氏),天気は雪のマークが出ていましたが,結果的にはそれほど下がっていなくて,朝晩が摂氏10度くらいですいんでいます。
これから約1週間滞在する,トロンハイムは,北緯63度付近に位置します。これはおそらく宗谷岬よりもはるか北だと思いますが,気温が冬でもマイナス10度くらいまでしか下がらないそうで,中学のときに習った,「北大西洋海流と偏西風の影響のため」と思われます。
もうひとつ,驚くべき数字としては物価です。大手ハンバーガーチェーンMのセットメニューは1500円くらいです。しかもほかのレストランに比べればかなり安いです。またホテルのランドリーサービスの値段ですが,靴下が800円,ワイシャツが1600円(いずれも1つ)という感じです。多くの国で物価に関しては日本人はわりと得をしている中で,逆の立場を体験できる数少ない経験と思ってあきらめるしかないようです。
物価の違いは,その国全体として国外に輸出している価値の量によるところが大きいと考えられます。ノルウェーは意外と知られていませんが原油輸出国世界3位です。海外旅行に行って,安くておいしいものが食べられるとき(1人100元で北京ダックを食べきれないほど食べるときなど),日本が過去60年間で何を世界に売ってきたのか,よく考えてみることが日本の将来を考える上で大事だと思います。
2007年02月25日
中国短期留学特論「そして伝説へ」(後編)
披露宴の行われるホテルの前にはすでに近所のおじさんたちが待ち構えていて,とんでもない量の爆竹に点火します。爆発は10分くらい続き,話ができないくらいの爆音です。新郎新婦を乗せたリムジンは爆竹が終わるまで車寄せには進入しません。おそらく邪気を払うという意味があるのでしょう。
爆竹がおさまると,リムジンが車寄せに入ります。手に筒を持ったおじさんたちが車の扉に近づいていきます。
持っていた筒は花火でした。結構高くまで紙ふぶきが舞います。
新郎新婦の登場です。
業者カメラマンと素人カメラマンが群がります。
カリスマ司会者と生演奏者(NHKのど自慢の演奏者みたいな感じ)登場。何かのショーのような感じで,ゲスト紹介。この後,新郎・新婦が登場し披露宴は進行していきますが,写真ではお伝えできないので省略します。
中国の結婚式には神様は存在しないようです。いわゆる人前結婚式でしょうか。実は結婚式に限らず中国には神様がいないということかも。人間の営みは人間の手によって,神様がいたとしたらその手伝いくらいはしてくれるかもしれません,というのは一神教の影響を受けていないアジアではごく自然なことでしょう。
それから,式はしばしご歓談する暇がないほどのハイテンションで進んでいきます。カリスマ司会者が生演奏と掛け合いながら新郎新婦にワイドショー的な質問をしたりして場を盛り上げます。締めるところは締めますが。
しばらくすると,新郎新婦および両家の関係者が各テーブルを回ります。このときにご祝儀を(特にお嫁さんに!)渡すのが中国流のようです。袋は赤い袋で。中国ではお金は偶数のほうがいいらしいです。今回は当人たちが日本で暮らすため日本円で日本式でいいかと思われます。
夜も更けて,場所を新郎新婦の部屋(スイートルーム)に移して儀式が続きます。部屋は関係者でごった返しています。日本からの出席者のなかで天津に泊まったのは我々だけでしたが,部屋に戻ると中国側から新郎新婦の部屋にくるように言われました。どうやらこの儀式は友人たちが参加するものであるらしい。なお当然ですが,すべてカメラマン氏の演技指導と指揮によって進行します。
儀式は1時間くらいでしょうか。残念ながらここではご紹介できませんが,順序良く行われる手続きは日本人の我々にも言葉による説明なしに意義が理解できるものでした。
伝統的社会においてはおそらく日本においても同様の趣旨のしきたりやイベントが行われていたと思われますが,中国の結婚式はその名残をより残している形なのかもしれません。この日1日の進行において何度もそう感じる場面がありました。
2007年02月21日
中国短期留学特論「そして伝説へ」(前編)
さて,今回の訪中の目的は友人(日本人男性)の結婚式。5年前に学部の講義で行った中国で知り合った方(中国人女性)とこのたびめでたくゴールインすることになったわけです。今回日本各地から駆けつけたメンバーは主にこの「中国短期留学第一」に参加して,かつ翌年勝手に「中国短期留学第三」に参加したメンバーです。その後も当人たちといろいろな接点があり(ピストンさんはパリまで同行したこともあるらしい。),あつかましくも2人の進展を日本において中国において割と実感を持って見守ってきたと自負しております。そんなわけで物好きな8人が仕事の都合をつけて北京で合流,ひさびさの天津を目指します。
日本代表団の本拠地,長富宮賓館より天津行き貸切バスが出発します。われわれは胡同のホテルを朝7時半に出発し,タクシーに分乗して長富宮賓館を目指しました。早めについて朝飯はホテルのバイキングです。一気に生活水準が上がります。(朝食代は100元くらいだったと思います。)
バスは親戚のみなさん,会社の上司と新郎友人を乗せて天津に向かいます。北京から天津までは高速道路で1時間半~2時間くらい。天津の街の入り口の道路で新郎および中国側関係者の出迎えを受けます。
最初に新娘(新婦のこと)実家を訪問します。理由はわかりませんがお嫁さんがどのような家の出身であるかをこちらの親戚のみなさんにも披露するという意味合いがあるのでしょうか。
日本側と中国側で激しい外交合戦(笑)が展開されますが,われわれ末席のものは部屋の隅でおとなしくしています。テーブルの上には最高級タバコ「中華」が山盛りの皿がおいてあります。いくらでも吸ってくださいということでしょう。喫煙者にとってはいい国でしょう。(私は残念ながら吸いません)
中国人は写真が大好きで一人っ子のせいもあり,写真集やポスターなどがいたるところに張ってあります。今回のお宅訪問ではいろいろな部屋を見せてもらいましたが,新郎新婦の韓流スター風の写真がはってありました。なおこの日1日,この手の写真はいやというほど見ることになります。
歩いて近くのレストランへ。昼食の時間です。新婦は家で準備中です。
この昼食会の趣旨は,麺をたべることです。なぜ麺がいいかというのは引越しソバや年越しソバと同じです。中国人も同じようなことを考えているようです。
新郎と新婦父上様はそろって今回の接待役のようです。親戚か主賓かわかりませんが,中国語の飛び交うテーブルで新郎(日本人),「精神と時の部屋」状態です。(しばらくそれが続くでしょうが。)
続いては,新婦の実家出発儀式。新郎弟君と友人女性2名が何かの荷物とりんご(?)の入った包みを持って入ります。カメラマンがどういう順番で入るか細かく指示をしています。この後ほぼ1日中すべての行事進行はカメラマンの指示によることになります。
家の中ではなにか儀式めいたことが行われていると思われますが,外からはうかがい知ることはできません。15分くらいでしょうか,中国側親戚のおばさまたち(姉妹?)とつたない中国語で会話したりして,新郎新婦のお出ましを待ちます。
新郎新婦がお出まし。
業者カメラ,個人カメラなどたくさんのカメラが入り乱れます。走ります。
新郎新婦の乗るリムジン。電車みたいに横に座るシートなどがありました。新婦と新婦介添え人は客室に,新郎は助手席です。
参加者は同じ型の乗用車(アウディー)に分乗してリムジンを先頭に車列を構成します。超VIP。
リムジンの前につけている後ろのドアを開けたワゴン車,実はカメラ車です。
カメラ車の後部よりカメラマン氏が車列の動きを指示したり,他の交通を制止したりします。箱根駅伝状態です。
次回,後編をお送りします。
2007年02月17日
北京ダックが食べ切れません!
最後の合流者,よたろうさんとshiroさんが合流。ドラクエ4だと第五章に入った感じです。
カメラについて語るshiro氏。イランで買ったハーフのカメラと,最近買ったちょっといいデジカメを持ってきた模様。ションボリにならなければいいが。。
街角の公園の遊具。深夜通販番組の健康器具のような動きをします。
馬老師お勧めの北京烤鴨(北京ダック)の店,金百万烤鴨店。(場所はこのあたり。)5年前の中国短期留学第一,4年前の勝手に中国短期留学第三でも行きましたが,だいぶ支店が増えたようです。カードを持っていましたが東京に忘れてしまい,(同じものをもっていた)はにゃこさんに持ってきてもらい行くことができました。都心部よりタクシーで約15分くらいだと思います。
オーダーするのにすごくもめています。まるで中国人のようです。魚をオーダーすると,生きて飛び跳ねている魚を持ってきて,これでいいかどうか確認しにきます。ちなみに美食クラブの主席は今回残念ながら欠席です。
焼き豚。あったかくてやわらかくて最高です。ふかふかした出来立ての饅頭のようなものがついてきますので,日本の肉まんのような味わいが楽しめます。
北京ダック1匹目。一応,精品(上級品ということ?)というのをたのんだ。タレと皮,あとは肉と一緒に食べる野菜などかなりいろいろなものがついてくる。
料理が出てくると1品づつ写真を撮る人たち(私も含めて)。デジカメによって変わったことはとりあえず撮りまくるようになったということです。
2匹目をオーダー。ここのダックは皮だけではないようです。この日たのんだのはビール人数分くらい,北京ダック2只・魚料理・野菜料理・すっぽんのスープなど。8人で割ると一人70元(約1100円)でした。
帰りは長富宮(ニューオータニ)に宿泊の2人をお送りしながら,ホテルでお茶を飲む。コーヒー・中国茶などどれも50元以上。サービス料もとられますからさっきの北京ダック満腹と同じくらいになります。中国こそ格差社会です。共産主義社会を実現するためにはまず富めるものから先に裕福になるべし,とでも言われそうです。
こうして久々の再開を果たした同志との楽しい夜は更けていきます。明日は今回の訪問の一番の目的,中国に来ておそらく一番刺激的な大イベントが予定されています。
次回は,「中国短期留学特論~そして伝説へ~」をお送りします。
2007年02月16日
中国的自転車体験!
ホテルの前にレンタルサイクル屋さんを発見。1台4時間で15元だったと思います。
胡同の細い道を爆走。ブレーキがあまりきかないので要注意です。
大通りに出る。中国では自転車用に車道の1車線が確保されています。
日本人の皆さん,走行中に写真とりまくります。
途中によった店にいた九官鳥?やはり中国の鳥ですからきれいな北京語で「ニーハオ!ニーハオ!」としゃべっていました。
后海の近くを走ります。
タカオさんの自転車がパンク。街角の修車屋さんでの修理代,15元。北京での中国的自転車体験,プライスレスです。
途中,鼓楼からの眺め。胡同が残っている地域も結構少ないようです。少し離れると高層アパートなどが多くなります。
中には水時計があります。この水時計の仕掛けについていろいろと考察する皆さん。結局中の人ががんばっているのではないかという結論。
15分に一回,ちょろちょろと流れている水が劇的に増加して人形がシンバルを打ち鳴らす仕掛けになっています。器が銅でできているので水が緑色になっています。
人力三輪車とすれ違う。これは乗ったことあってそれはそれでいい感じなのですが,やはり自分で中国的自転車を走らせるのはもっといい体験です。
宿の近くのいい感じの商店街。古い町並みですが,建物を改造などして喫茶店やバーになっている店がたくさんあります。
次回は,「北京ダックが食べ切れません!」をお送りします。
2007年02月15日
現地集合
多忙なみなさんに集まっていただくにあたり,今回は現地集合となりました。初日は私とピストンさん。(1名は外交手続き上の理由により出発取りやめ。)2日目には関西からタカオさんと成田からsongさん,関西からはにゃこさんとぶんさんの登場です。そして3日目には成田からshiroさんとよたろうさんが到着します。
タカオさんとsongさんが侶松園賓館に到着。北京市内は大渋滞です。はにゃこさんとぶんさんのいる長富宮賓館(ニューオータニ)での待ち合わせには予定より1時間ほど遅くなってしまい非常に怒られました。
長富宮賓館のある建国門には在北京日本国大使館があります。おととしおこった反日デモで投石などがありましたが,現在では平穏のようでした。しかし柵が2重に張り巡らされていて警戒は厳重です。当日は六者協議開催中とのことで,日本の国益を主張するためにがんばっていただきたいものです。
驚くべきことに,北京では公衆トイレがものすごい勢いで増設されているようです。100メートルおきくらいにあり,割と清潔でかつ免費です。オリンピック対策でしょうか。男子小用の1つの掲示にこんなものがありました。
向前’一小歩’,文明’一大歩’
意訳すると,一歩前へ,これは小さな一歩であるが,文明にとっては大きな一歩である。(しかし中国語においては文明というのはマナーという意味だと思います。)
6人集まったところで適当に見つけた店で夕食。私とピストンさんは2日目だったので,あまり腹の減らない状態でしたが,その日到着したばかりのみなさんは「おなかすいた~」を連発。やはり中国にきた目的の1つは「食」ですからね。
他人の食べている美味しそうなものを指差しでオーダーする方法を覚えたわれわれは,隣のテーブルにあった熱燗のようなものをたのんでみた。中身は白酒(バイチュウ?)でした。
久々のご当地中華料理と若干のビールと白酒でご機嫌の面々。ちなみにこのブログの写真はすべて自分のカメラの画像から作っているので,自分が写っている写真はほとんどありません。
胡同のホテルの近くにはなにやら洒落た雰囲気のバーや喫茶店,雑貨屋さんなどがある通りがあって,そこでコーヒーとデザートをいただいた。しかし中国でコーヒーを飲むと非常に高く感じます。50元とかします。日本より高いです。
こうして2日目の夜は更けていきます。次回は「中国的自転車体験!」について書きます。
2007年02月14日
北京到了。
去年オープンした成田空港第一ターミナル南ウイングより出発。今回は重要な任務を帯びての渡航のため,日本国籍の航空機での出発です。(実際は中国国際航空よりも安かったからです。)
写真を間違えました。再度アップします。
出発ゲートからの風景。おそらく空港反対派の拠点かなにかでしょう。場所はココです。真剣に建設反対している人,または成田空港の完成に向けて努力されている関係者のみなさんには申し訳ありませんが,正直言って航空ファンにはたまらない場所です。展望レストランでもできたらぜひ行きたいです。
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入国カードの目的欄には,visiting friendsに今回初めてチェックを入れます。
今回の北京の宿所は胡同の中にある四合院建築の邸宅を改造したと思われる「侶松園賓館」です。割と清潔で外国人の宿泊客がほとんどです。
なんといってもロケーションが最高。北京市民が暮らす古い町並みの中にあり,周りに住んでいる人は作り物ではない普通の日常生活を送っています。到着日は徹夜での出発だったため,早々に宿で爆睡しましたが,2日目は朝から街歩きです。
天安門広場にある毛主席紀念堂。5年前の中国短期留学第一では私は荷物番で入場を逃しましたが,今回はpiston氏に荷物を預けて5年ぶりの目的達成です。
次に訪れたのは,たまたま街を歩いていて発見した「宋慶齢同志故居」。
1階には写真や手紙などがあり,特に孫文とともに日本に滞在していたころの記録があります。また2階は中華人民共和国成立後に使われていた執務室が当時の様子で公開されています。
北京ではほとんどの池や川が結氷していました。それにしてはそれほど寒さを感じませんでしたので,普段よりも暖かかったのかもしれません。
中国短期留学第一で行った山西省の料理,刀削面。鍋の前で包丁で切りながら入れるあの食べ物です。香菜がとてもいい感じで,中国に来たことをもっとも感じる瞬間です。
こちらは大岡山駅前の四川屋台でおなじみの,担々面。やはり大岡山のものはスープのだしに工夫がされているらしく非常に複雑で濃厚な味ですが,こちらのほうは非常に単純で素朴な味です。
宿泊を検討していたもうひとつの候補,「竹園賓館」。改装中のため予約できませんでしたが,われわれの泊まった侶松園賓館よりか高級そうなつくりです。しかしロケーションは侶松園賓館のほうがいいような気がします。
次回は,日本からの同志たち(曲者ぞろいの面々)との合流についてお伝えします。
2007年01月04日
中港澳比較行(その10 帰国の途)
日曜日の朝早くにマカオのユースホステルを出発する。天気がよい日はなかったが,松林に囲まれた海岸の別荘地です。しかしほとんど人がいない。
ユースホステルはマカオの南のはずれ,中国との国境はマカオ半島の根元にあり,マカオの北のはずれにあります。この「關閘」というところはマカオではフェリーターミナルとともに重要な交通の拠点です。そこまで寄り道しながらバスで約1時間。
かつては中国とポルトガル領との国境であった關閘,後ろにはパスポートコントロール・税関のある新しいビルです。鉄道駅または空港のような雰囲気です。これはマカオ側の建物で,50メートルくらいの屋根つき通路をはさんで反対側には中国側の建物があります。通行人数はかなりの人数です。(ほとんどが一攫千金を狙う中国人か。)ゲート数,並んでいる人数は混雑時の成田の出国審査くらい。
こちらが中国側建物。こちらはこちらで駅のような構造です。中国辺防検査で「拱北」というスタンプがもらえます。ちなみに,香港行き列車のときは「北京鉄路」というスタンプがもらえました。あとは割とめずらしいものとしては,「天津」(海港),「阿拉山口」(カザフ国境鉄路)があります。
中国の入国カードを書くときのボールペンを貸したことでいっしょに行動することになった中国系マレーシア人の案内で,難なく広州行きバスを見つける。彼は広東語も話せるようだ。この国境の町からは各地へバスが出ている。広州市街まで約2時間半くらいか。
珠海から広州までは高速道路,水田や運河の広がる景色の中,北へ向かう。途中,SUZUKIのバイクに良く似た「SUKIDA」というブランドのバイクを発見。(残念ながら写真は撮れず。)
広州は大きな町で高いビルがたくさんあるが,市街地が非常に広く分布している印象だった。しかし時間が無く,昼飯はバスターミナルの売店でパンなどを買い込み,すぐにタクシーで空港に向かう。途中大渋滞にはまる。
広州白雲空港に到着。立派な空港です。ちなみに関係ありませんが北京・上海などのターミナルビル建設には日本のODAが入っているそうです。利用するたびにその前に成田をなんとかしてくださいと思うのは私だけでしょうか。また資金援助には当然なんらかの見返りが(以下ry
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/index/kunibetsu/china.html
日本航空662便名古屋行き。ロビーにて機長と副操縦士が準備が整うまで待っていましたが,一言も会話をしていなかったのが印象的でした。旅客機の操縦というのはマニュアル化されていてどのような機長・副操縦士の組み合わせであっても完璧に役割をこなせるようにできているそうなので安心ですが。また,J社にのるといつもやや年配の男性のチーフパーサーが印象的です。番頭さんみたいな感じで若い女性客室乗務員のまとめ役といった感じです。
搭乗後プッシュバックしたところで,航空当局の指示により30分ほど待機,その後滑走路に入り離陸許可が出た後で,突然離陸許可取り消しになりました。(機長のアナウンスによる。) 5分くらい滑走路上で待機してやっと離陸しました。中国ではよくあることなのでしょうか,日本国籍の飛行機にはあまり乗りませんので,中国航空当局のいやがらせではないかと勘繰ってしまいます。
雨の中部国際空港へ無事着陸。しかし紀伊半島上空では非常に揺れました。今回の目的のひとつ,「中部」のスタンプをもらうを達成しました。
帰りはもちろん,地元遠州鉄道が運行する空港直行バス。車体の配色がすばらしい。緑と灰色は浜松の松と砂浜をイメージしているに違いない。
以上,ちょうど一週間の小旅行でした。短いがなかなか内容の充実した1週間でした。
2007年01月01日
中港澳比較行(その9 マカオ3回戦)
ユースホステルの部屋。この大部屋ですが宿泊者は我々2名だけ。おきたらすでに13時すぎ。
昼飯はポルトガル料理店。ここも,完全に西洋でポルトガルといえばユーラシア大陸の西の端がある国。もーり氏もいつかそこへたどり付くのだろう,という話をしながら。(12月末現在,まだ台湾にいるらしいので先は長いが。。)リゾットのようなものとチキンの料理。ポルトガルビール?つまみのオリーブがうまかった。
タイパ島の旧市街。細かい路地がいっぱいあります。
保存されているポルトガル人の家?。このあたりは教会や西洋風建物が立ち並んでいる。結婚式のグループがいくつか来たが,教会で結婚式をするわけでもなく,ただ写真をとるだけ。中国人は写真が大好きですからねぇ。
日が暮れてきたところで今日もカジノへ出撃。その日は金沙娯楽場というカジノに行く。例によって写真撮影禁止なので文字のみの描写になりますことをお許しください。
入り口に来場者に1回無料のスロットマシーンがあって,銀賞があたる。賞品はなんということのないキーホルダーだが,さいさきのよいスタート。先生の話によるとラスベガスのカジノと同じような巨大カジノで,テーブルの数もすごいし,中にあるレストランやステージもすごい。今回も先日同様1000元チップを用意。撤退ラインを500元と1500元に心の中で決めておく。先生とわかれ,大小のテーブルを物色する。50元がMinimum betの台もけっこうあるようだ。いくつかの台で50元づつかけていき,一進一退。1時間ぐらい楽しんで950元でいったん先生と落ち合う。
ステージの前のバーでコーヒーを注文してしばし気分転換。こういうところの飲み物はとんでもなく高いと思ったが,20元くらいで,まあわりと良心的な値段設定。高くしなくてもカジノでお金を落としてくれればいいのでしょうが。先ほどの台に戻ると,ますます盛り上がっていて近づけない状態に。履歴を見ると大が10回近く出ている模様。プレーヤーの数もかなり多く,掛け金の払い戻しなど1回が時間がかかる状況になっていました。このように盛り上がりが最高潮に達したころに「ぞろ目」が出て,ディーラーの総取りになるというのが,よくありがちなパターンです。後半戦の運試しにということで,締め切り時間間際に人をかき分けてぞろ目に50元賭けてみました。
さいころの入っている筒のフタが取られた瞬間,心臓が口から飛び出そうなくらいビックリしました。結果は1・1・1のぞろ目。掛け金は24倍になります。大と小に賭けていたほとんどのプレーヤーが落胆のどよめき,しかしぞろ目には私を含め4人くらいが賭けていました。こういう大きなアタリが出た場合,ディーラーにチップを渡すのがカジノというものらしい。1200元の払い戻しの中から,50元をディーラーに残し,1150元を受け取る。その日のすべての運を使い果たしたという感と,撤退ラインを楽勝で超えたので撤収。賭け事は引き際が肝心。
勝者の権利であるカジノメシ。といってもめちゃくちゃ高い値段ではないが,負けたら気分的に食べていくようなものでもない。パンもオリーブもおいしいし,メイン料理である牛のtongueもtailもやわらかくておいしかった。ワインをついでくれる人がいて,そのような場合は自分で注いではいけないらしい。私のオゴリであるが,ウェイターさんはもーり先生のほうが主賓であると思って給仕をしているようだった。私にはお金持ちの振る舞い(?)というのが似合わないらしい。
というわけで,3日間カジノに通い,最終的にちょっとだけ(数百元)儲かった計算になる。しかし先生曰く,その日儲かったかどうかが重要,とのこと。そういうことでこの日は大勝利ということで非常に満足した気分でユースホステルに戻った。
次回はマカオ~中部国際空港について報告します。
2006年12月28日
中港澳比較行(その8 マカオ2回戦)
マカオ特別行政区は、中国大陸につながるマカオ半島部と、タイパ島・コロネア島からなる。(地図参照)カジノや多くの観光地はマカオ半島にあるが、われわれのギリシャ神話ホテルはタイパ島にあるため毎回ホテルの送迎バスなどで半島部に繰り出すわけである。半島部とタイパ島の間は2キロくらいあるが、3本の橋でつながっている。また、タイパ島とコロネア島は埋め立てによって陸続きになっているようだ。
その日はホテルを変わるため、中心部にある青年局というところにいってユースホステルの予約をした。その青年局に勤めているおねえさんに紹介してもらった店で飲茶。しかし、ユースホステルのベッド代、2泊で50元だが、それより高い飲茶の店を紹介してくれました。(50元といえばカジノの最低掛け金と同額ですが。)
さて、その日の午後はひたすらカジノめぐり。雰囲気などを見てその日勝負をするカジノを物色します。もーり先生の説によれば、「見せ金」というのが結構役に立つらしい。すなわち、1日目のように50元づつポケットから現金をだすのではだめで、1000元くらいまとめてチップに交換しておいてそれを持って少しづつかけていくのがよいとのこと。たとえば1000元ならば撤退ラインを500元くらいとして500元は見せ金です。また、カジノに行った人は多くが結局負けるわけだが、お金がなくなるという下限の撤退ラインは明確に存在するが、勝ったときの上限の撤退ラインを明確に設定しないからである。勝っていても回数を重ねれば最終的には105/216*2で期待値は0.972、増え続けることは絶対にないのである。
その日のカジノを選び(金曜日だからか大小の最小掛け金は100元になってました。)、もーり先生と別れ大小のテーブルを物色する。そこそこにぎわっている台の様子をみて途中から参加。1000元からスタートして小にかけたり、どちらにもかけなかったりを繰り返して少しづつ資金を増やす。この日に限っては大にかけて当たったことは1回もなかった。その間結構小が出続けたが、こつこつと小に張り続け他の人が大に掛け金を増やしていく中、僕が小に賭けるタイミングを見て乗ってくる人もいた。場には運がめぐってくる人というのがいる場合があって、その人にのるというのも選択肢である。注目されるプレーヤーになるのは楽しい。
しかし、持ち金が1600元になって掛け金を200元に増やしたところ、とたんに当たらなくなり手持ちは結局900元に。そうしているうちに盛り上がっていた台はぞろ目が出てみんなため息とともに散っていく。このあたりでその日の流れは終了、と判断して換金して終了しました。やはり1500元のところで最初の撤退ラインどおり撤退しておけばよかったと悔やまれます。先生もボチボチだったようで、最後端数の25元を盛り上がっている大小のぞろ目に賭けて終了しました。(ぞろ目の倍率は24倍です。大が出続けているなどで盛り上がっているときに出るものらしい。)
ユースホステルもあまり遅くなってはいけないだろうということで、荷物を持って21時ごろマカオの最南端、コロネア島の南側海岸沿いにあるユースホステルに向かう。乗り合いバスに揺られること約30分、バスを降りたところは人気のない海岸沿いで、どうやら別荘地らしくいい季節の時にはそれなりににぎわっているだろうが、季節はほとんど冬ということで人気のないところです。時々何の用事があるのか車が海岸沿いの公園のようなところにやってきたりします。
ユースホステルの場所がみつからない。公園に散歩に来た人などに聞いてどうやらこれだろうという建物。看板もなければ窓も雨戸が閉まっている。チャイムを鳴らしてみると、広東語で答えられる。英語は通じないらしい。片言の北京語で話すところによると、日本人かときいている。どうやら日本人2名がいくことは連絡されていたらしく、管理人のおっちゃんが、ドアを開けてくれた。
近くには食堂も店もない、町に戻るには遠すぎるということで近くにあるわりと高級なリゾートホテルっぽいところのレストランへ。ギリシャ神話ホテルから都落ちして真っ暗なユースホステルで回りに店もないという、少々気分が沈んでいたわれわれであったが、素敵なレストランを発見してご満悦。海がみえる高台にあるテラスで、オフシーズンなので落ち着いていたがよい雰囲気のレストラン。
どうやらここはヨーロッパ系の人が多いらしく、客も多国籍企業のパーティーなど。お店のお姉さんとそれらしい英語でコミュニケーションがとれます。ご満悦のもーり先生とともにワインを2本ほどあける。
それぞれ魚と肉をメインにして、パンやサラダがついてくる。フォークとナイフで魚を食べるのは難しいが、結構おいしかった。この旅でもっとも記憶に残る一食となった。しかし、オリーブを食べるとヨーロッパあたりに来た感じがする。マカオは中国とヨーロッパが混在しているのだ。
こうして、マカオ2日目はご機嫌のうちに終了した。
2006年12月24日
中港澳比較行(その7 マカオ1回戦)
町は中国とヨーロッパを足して2で割った感じ。しかし非常に人口密度が高いです。マカオはポルトガルの植民地だった町。現在は中華人民共和国の特別行政区になっている。特別行政区というのは香港とマカオのことだが、ここは同じ中国に属しているにもかかわらず中国本土にすんでいる人にもパスポートのような通行証のようなものを要求する。一国二制度というのだろうが、やはり中国政府にとって自由に行き来されては困るのだろうか。しかし、香港および中国本土から毎日大量の中国人・香港人が一攫千金を求めてやってきます。特に中国はゲートをはさんで歩いていける距離ですから。
もーり氏のうまいものを見分ける目はなかなかなものである。さらっと入った店で食べたお菓子は結構おいしかった。どこでお金を使うべきかを知っている。旅行を長くしているとおいしいものやおもしろいことへの方向感覚が優れてくるものだと思う。
市場の中のフードコードっぽい店。市場はけっこうこぎれいで(いったことはないが)ポルトガルっぽいのだが、料理はいたって中華料理。
夕食はここでとる。市場で働いているおじさんたちがにぎやかでした。おじさんたちは多くがヨーロッパ系の顔立ちでポルトガル語のような言葉をしゃべっていました。
町の中央広場と思われる場所。ヨーロッパのような町並みです。こうしてマカオ第一日目の夜は更けて生きます。
カジノへいってみる。もちろん見学のつもりで。最初に行ったこのリスボア(葡京)は老舗らしくこじんまりとした感じながらかなりにぎわっていた。沢木耕太郎の小説「深夜特急」にも出てくる有名店である。
さて、カジノ内は荷物検査がありかつ撮影禁止ということで、写真ではご紹介できないのだが、この店は200人くらい入れる程度の円形のホールで、トランプの台と大小という台がそれぞれ10台くらいおいてある感じである。
大小(ダイショウ)というのは、詳しくはこちらの記事に譲るが、ディーラーがサイコロ3つをカップの中でふり、出た目の合計などをかけるといういたって簡単なものである。サイコロが3つなので、合計は3から18になる。10以下の場合が小で、11以上の場合が大である。あたると2倍になるが、ゾロ目が出るとディーラーが場のすべての掛け金をもらえる。ただし、賭け方はそれ以外に、1が入る、1・2が入る、「1・2・3」などのすべてを指定するものなどほとんどすべてのパターンがある。またゾロ目という賭け方もできる。
大・小に賭けた場合の倍率は2倍で、当たり目が出る確率はゾロ目を考慮すると105/216である。大か小に賭けるというのが、ディーラーの取り分がもっとも少なく客にとってはもっとも期待値が大きい。(ただし、投資した額より小さいのは当たり前だが。)しかし、後でわかったことだが高校数学で習った確率は、あくまで無限回試行した場合に出る場合の数であるので、カジノのように金額に制限がありまた回数が有限であれば成立しないものと思われる。つまり引き際を知るのが肝心だということ。1つの証明としては、掛け金を常に2倍にしていけば勝ったタイミングでやめれば必ず儲かるということがあげられます。
カジノに関する考察はその都度書いていくこととして、最小の賭け単位は50元です。香港ドルかマカオパダカ紙幣をテーブルのかけたい場所に置けばいつでも始められます。見学だけのつもりでしたが見ているだけではつまらなく、ポケットにあったお金を少しづつ使いながら、結局300元ほど負けました。
リスボアホテルの中を歩いていると、ものすごく着飾ったおねえさんたちがいっぱいウロウロしていて、やたらと声をかけてきます。よっぽどお金持ちに見えるのでしょうか、けっこう付きまとわれました。もーり先生はカジノだけではなく、このあたりの事情もよく把握しているようです(笑)
その日はマカオビールが飲める店でビールを飲んで撤収です。
pistonさんはこの日で香港に戻ります。香港行きフェリーターミナルにて。ちなみに、香港空港から直接マカオに船でくることができるようです。この場合、香港には入国せずに直接マカオの入国審査を受けることになるとか。
さて、カジノの町の恐ろしいところは、われわれがとまっているギリシャ神話ホテルにも当然カジノがあるということです。ホテルに帰った後、もーり先生と私は結局ホテルのカジノに行き、3時間ほど楽しんで、私はまた300元ほど損しました。
2006年12月15日
中港澳比較行(その6 飲茶、そして決戦の地へ)
とまったゲストハウスだが、高層アパートの一室と言う感じ。香港も住宅事情はそんなに良くないようです。
ヤムチャといえばドラゴンボールの最初のほうに出てくるキャラだとしか思いませんでしたが、これはどうやらお茶を飲む、ついでにおつまみもという名目で昼飯を安く食べる、あるいは提供するという趣旨らしい。そういう意味では名古屋のモーニングと共通点がありそうだ。
マカオ行き高速フェリー。1時間ぐらいだが、一応国際航路。飛行機と同様に出国審査でパスポートにスタンプをもらいます。香港滞在はわずか1日!
ここからお金が重要な話題になっていきます。人民元は約15円ですが、香港ドルもだいたい15円です。したがって中国によく行くみなさんは香港ドルを元だと思えばだいたいOKです。ちなみに、マカオの通貨はパダカ。しかしこれのレートはほとんど香港ドルに連動しているそうで、マカオの町ではどちらも同じ価値で使えるようです。
マカオの1日目のホテル。ギリシャ神話ホテルなるどちうらかというと趣味の悪い装飾の施されたホテル。マカオのホテルは多くがカジノを併設していて、必要以上に無理に豪華な感じをかもし出している。客室もまあまあ立派だったが、宿泊料金は非常に安い。たしか1人あたりに換算すると、香港からの高速船とセットで400元くらいだったと思う。
後でわかったことだが、豪華なホテルに泊まると(たとえ値段が安かったとしても)お金持ちの気分になる。そうするとお金持ちでもないのにカジノで賭ける金額も自然に大きくなるようだ。あるいは周りの人が賭けている金額につい流されてしまい、大きな金額をかけてしまうものである。ホテル代が安いのは後でカジノでたくさんお金を落としてくれることが期待されるからであって、すでに勝負ははじまっていたのであった。
次回はマカオ1日目をお送りします。
2006年12月08日
中港澳比較行(その5 陣中見舞い)
さて、香港にきた目的の1つは、国外追放中のもーり氏の陣中見舞いである。香港に着いた我々は、宿泊予定の龍群賓館というゲストハウスで待ち合わせる。
荷物をおろして早速街歩き。ちなみに香港は車が左側通行で日本と同じです。気をつけよう。イギリスの植民地だった影響でしょう。横断歩道には、LOOK RIGHT(望右)と書いてあります。ロンドンと同じです。
香港の最高級ホテル、The peninsula。中国名ではずばり半島賓館。香港の中心部は、大陸より突き出した九龍半島と、その南側にある香港島にある。ペニンシュラは九龍半島の先端にあり、客室からは香港島の摩天楼を一望できる、と思われます。
ちなみに北京のペニンシュラには泊まったことがありますが、やはり高級でした。コーヒーが50元以上しました。。
フェリーで香港島へ。約10分で到着です。香港は金融の街。われらが地元の静〇銀行もこのビルの一角にあるものと思われます。
香港島の斜面に沿って続く店など。エスカレーターで何百メートルか登ることが出来ます。しかし帰りは徒歩。こちらは中華っぽくない、バーや西洋レストランが多く、ご機嫌な西欧人がビールやワインなどを飲んでいます。我々日本人はもちろん中華料理を探します。
途中のスーパーで買ったビールを開けられず、栓抜きを探し回る。もーり氏は我慢できずにあつかましくもお店のおねえさんに開けてもらう。
ご満悦の様子。
途中入った中華料理店。米を使った料理を店のおやじさんがとりわけてくれる。広東語はわからないし、英語もあまり通じないのでコミュニケーションは少しだけの北京語。
鍋のご飯の上にのっていたソーセージ、ちょっと苦い感じの変わった味だったが、後で聞いた話によるとどうやらヘビのソーセージだった模様。この店の名物料理。
会社帰りのビジネスマンがいっぱい、というかこの写真の後姿はpiston氏ともーり氏ですが。香港の面白いところは、ごみごみした商店や料理店と大ビジネスセンターが混在しているところでしょうか。
こういうところの中は、高級ブランド店やスイーツ・コーヒーショップなどばかりで、西欧的な消費者の街になっています。
中国の夜店名物「省電器」。実演販売です。白熱電球や蛍光灯でワットメータが回らなくなるのを実験してくれるようです。ちなみに前回天津で買ったものは、研究室に持ち帰って検討した結果ただの(力率改善用)コンデンサではないかということでした。
こうして香港の夜はふけていきます。
次回は、飲茶、そして決戦の地へ、をお送りします。
2006年12月03日
中港澳比較行(その4 華南地方風景)
朝起きると景色はだいぶ変わっていました。華北にくらべると川などが多く、地形も起伏に富んでいます。植生も変わりどちらかというと日本の風景に近いものがあります。
車内設備の紹介です。一等寝台(軟臥)はドア付のコンパートメントで2段ベット4人部屋です。もっと高級な車両もあるようでした。
(一等車の)トイレ・洗面所は結構きれいです。トイレは和・洋両方ありますが、日本人にはやはり和がおすすめです。洋式で汚いと手のつけようがありませんから。トイレの写真は自粛です。
各車両には給湯器がついています。お茶好きの中国人のみなさんのために。この車両は電気でお湯を沸かすタイプでしたがちょっとぬるくてよくありませんでした。やはり石炭のやつがいいですね。
食堂車です。いちおう営業時間があるようです。値段は結構高いです。2人で50元くらい。
列車はときどき都市部を通ります。広東省に入ってから工場や送電線が多くなってきました。
内陸部にある発電所は熱をすてるための大きな冷却器があります。日本では温排水として海にすてているのです。高温の蒸気を低温にすることでタービンをまわすわけですが、その低温をつくるために冷却装置が必要なのです。ちなみに、原子力発電所などは冬のほうが外部の温度が低いため、温度差を大きく取ることが出来、出力が大きくなるそうです。
南に行くほど温かくなっていきます。北京では10度以下でしたが、広東省での気温は20度くらいです。植物も南国風です。
広州に着く前に昼ご飯。オムレツ風料理と魚の煮物。中国ではあまり食べないものばかりです。
広州東駅で後ろの国内線列車を切り離して九広線に入ります。写真はおそらく中国側の深セン付近。中国と香港の間の国境はどうなっているのか、と思っていましたがノンストップで香港に入ったようです。おかげで寝過ごしました。しかしおきたら景色ががらっと変わって、そこが香港であることがすぐわかりました。
香港は中国の一部とはいえ、事実上別の国です。中国から来ると自由の香りが感じられます。中国よりも台湾に雰囲気が似ています。(台湾も中国ですが、と言われそうですが。。)
香港ドルへの両替については、銀行では手数料が高すぎるので街の両替店が便利です。レートも店によって違います。そう、ここは自由主義経済圏ですから。
そして、暑い。気温が20度以上ありますが、湿度も高く非常に汗をかきました。列車を降りて近距離列車で一駅戻り「旺角」という駅で降りてホテルへ向かいました。
次回はもーり氏陣中見舞いをお送りします。彼の英語のブログでは日本人読者には読むのがめんどくさいですから、かわりに香港・マカオでの日々を紹介します。
2006年12月02日
中港澳比較行(その3 深夜特急)
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T97次北京西発九龍(香港)行きは、直線距離約2000キロを約24時間で駆け抜ける超特急列車。始発の北京西駅を昼頃出まして各省1つづつしか駅にとまりません。河北省の停車駅はありません。河南省・鄭州、湖北省・武漢(武昌駅)、湖南省・長沙、広東省・広州(広州東駅)、終点九龍(紅磡駅)の順に停車してまいります。手元のGPS測定器によると最高で時速165キロほど出していました。地図上の赤い線は今回の経路の実測データ。
北京西駅出発フロア。行き先表示板をよくみるとびっくりするぐらい遠くへ行く列車がいくつかあります。日本ではもうありません。新幹線や飛行機よりも寝台列車のほうが高いのですから。ちなみに、北京から香港までの運賃は1等寝台で約1000中国元(15000円くらい?)です。
前から気になっていましたが、中国の鉄道は(私が乗る範囲では)多くの区間が電化されています。しかも交流で電化されています。日本の鉄道は大都市近郊では直流なのですが、これは歴史的な経緯が主な理由です。交流のほうが容易に電圧を高くすることが出来るため同じ電力を送るのに小さな電流ですみます。電車の架線というのは結構抵抗があるらしく、電流が大きいと電圧がかなり降下してしまうため、変電所を短い間隔で設置しなければなりません。その点交流ですと変電所の数は少なくなります。ちなみに新幹線は交流です。そのかわり、パンタグラフを載せる「がいし」はごつくなりますし、架線の吊架にも絶縁のために広いスペースが必要です。違いが知りたい人は東北本線黒磯駅、常磐線、つくばエクスプレスなどで観察してみてください。
この列車は国際列車扱いなので、北京西駅の国際線ターミナルより出発します。この駅で中国の出国手続きをして「中国辺防検査(北京鉄路)」のスタンプを冒険の書に記録してもらいます。これより先すべての駅で、国際線エリアのホームは柵で囲まれていて途中で降りることはできなくなっていました。
出発後早速車内販売の弁当で昼飯。残念ながらそんなにおいしくなかったです。以前に乗ったときは(そのときは旧型の緑のやつでしたが)紙の箱にその場で詰め込む言う感じでよかったのですが、今回はこぎれいにまとまっている感じでした。
華北平原の景色、といっても当日は視界不良であまり遠くは見えません。また写真では車窓の景色は撮りにくいです。また夜は明かりの全く無いところを走り抜けていきます。列車に揺られてレールの上を走る音だけが聞こえ、時々ゴーという音とともに貨物列車などとすれ違います。こればかりは写真ではおつたえできない感じなのでぜひ体験してみてください。
食堂車での夕食。食堂車は列車服務員の溜まり場になっています。各車両には服務員が1人づついて、寝る部屋もあります。2泊3日の列車とかでもたぶん通して乗務しているのでしょう。船旅のような感覚です。
次回は華南地方の車窓からです。
2006年11月29日
中港澳比較行(その2)
深夜にノースウエストで来るpiston氏と合流し、遅い夕飯。中国でも都市部では午前3時までやっているレストランとか、24時間営業の店も結構あります。
翌朝はこぎれいなフードコートのようなところで朝食。「豆汁」というのをなんとなくたのんでみたが、臭いがきつくてダメでした。イランのアイラン(こちらの記事にて紹介)のような感じです。
この奇抜なデザインの建物が北京西駅です。先月にも紹介したような気がしますが。京広線という北京と広州を結ぶ中国を南北に縦貫する幹線の始発駅です。
次回は、北京から香港への国際列車について報告します。
2006年11月28日
中港澳比較行(その1)
11月20日(月)、JL781便1020発北京行きに搭乗。使用機材はB747-400、スポットは92。旧塗装ですね。
成田空港スポット508に駐機されていたエアバスA380型機。空港設備のチェックと日本での披露のためにフランスからやってきたようで、これも今回の旅行の目的の1つです。飛来の予定と駐機スポットを事前に知ることが出来たので、左側の窓際をキープしておきました。
比較対象がないのですが、前から見ると異様な姿であることがよくわかります。総2階建てですから。
JALのエコノミーの機内食。JALの国際線には始めて乗りましたが、機内食に味噌汁が出るところがさすがです。また座席の画面では前方と下方のカメラの様子を任意に切り替えて見ることが出来ます。プッシュバックするときにトーイングカーの近くを歩いている作業員の人たちの様子が見えて結構楽しいです。
関係ないですが、写真は北京首都机場のとなりのスポットにいた全日空のB767。この時期の北京はこのように霧がかかっている場合が多いようです。アプローチ中前方カメラで見ていましたが、直前まで滑走路は見えません。
次回は北京での様子をお伝えする予定です。
2006年10月17日
中国弾丸ツアー(その5)
北京への帰路を急ぐ。人間必要に迫られると中国語でも通じるようになる。中国語は勢いが大事です。乗合バス、タクシーを乗り継いで驚異的なスピード・乗り継ぎ時間で石家荘に到着。しかし石家荘から北京への列車は当然満席です。はじめてバス移動を体験しました。豪華車というのは北京まで75元。列車ですと50元ですので高いです。しかし20分に一本という頻度で出ています。
華北の平原地帯をけっこうなスピードで飛ばします。トンネル・橋梁・盛土・切土区間はほとんどありません。北京まで約250キロ。東海道でいうと浜松~東京の距離です。
「服務区」、つまりサービスエリアです。こればかりは日本のそれとは比較になりません。日本の高速道路は世界一の水準ですから。ちなみに車内ではテレビでドラマが上映されています。
添乗のお姉さんに聞いたところ、北京までの所要時間は3時間40分。結果は5分程度の誤差で北京のバスターミナルに到着しました。その正確さもさることながら、3時間40分という結構細かい所要時間が決まっていることに驚きです。もはや中国の交通機関は先進国といって過言ではないでしょう。
北京での待ち合わせは、5つ星の老舗高級ホテル、北京飯店です。直前の予約のためかかなり安い値段で売り出していました。何時になるかわからない待ち合わせで、かつ毎日ドミトリー的な宿ばかりのM氏にはよろしいかと思い、出発直前に手配しておきました。しかし場所が場所なだけに、10月1日のこの日ホテルへのアプローチにタクシーで1時間ぐらいかかりました。
再会を祝して火鍋(しゃぶしゃぶ)とビール。このあたりはM氏のブログを参考に。その後天安門広場へ。夜も11時を過ぎていますが、何をするでもない人々が集まっています。中華人民共和国万歳の雰囲気の中、日本人としてはこの国のすばらしさとともに問題点についても考えさせられます。(日本の新聞社の中国支局のようになってはいけません。)
翌朝は6時に出発。M氏にはゆっくりホテルでお休みいただきタクシーで空港に急ぎます。
朝の北京首都空港。帰路はノースウエスト航空12便成田経由デトロイト行き。中国に行くときにはいつもアルコール入りウエットティッシュを持っていくのですが、搭乗口にてすべて没収されました。この飛行機はアメリカ行きなんです。(しかしこのエアバス330でデトロイトまで行くんでしょうか。米系エアラインは以遠権を主張して日本をハブ空港にしていますが、便名が通しでついているのはそのための建前でしょうか。)
かくして午後3時頃には大学に到着、日常生活に戻りました。もっともその後風邪を引きましたが。やはり体力的にきつかったんでしょうか、関係者のみなさんにはご迷惑をおかけしました。
2006年10月15日
中国弾丸ツアー(その4)
さて,河北省石家荘市晋州市に到着して,研究室の留学生の家を訪問しました。彼女は半年前まで東工大に研究生として在籍していましたが,一時帰国し中国の大学を卒業しました。現在は東工大の正規の課程に在学中です。
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その日はたまたま国慶節。親戚のみなさんがあつまっており,中国の一般家庭における宴会に参加することができました。とても食べきれないほどの食事が出ます。白酒も。
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親戚のみなさんとその友達のみなさんと食卓を囲みます。華北の料理は辛くなく,日本人の口にあうような気がします。
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中国の地方都市の住宅の風景。
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一方裏道に入れば,のどかな風景になります。中国で静かな風景というのは我々旅行者はあまり見ることがありませんので新鮮です。
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中国人も写真が大好き。かなり長い時間をかけて写真を撮ります。もう日曜日の午後3時。日本へ向けて帰路につかなければならない時間です。短い時間でしたが熱烈歓迎してくれた家族のみなさんに感謝の挨拶をして,急ぎ北京への移動を開始します。北京でMouri氏との待ち合わせをしているのです。
次回は,北京への帰路とMouri氏との再会を報告する予定です。
投稿者 tisobe : 17:39 | コメント (0) | トラックバック
2006年10月07日
中国弾丸ツアー(その3)
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中国の地方都市の風景。バイク等の修理屋さんやモーター・ポンプ・工作機械・電動工具などの店がかなりあります。日本では日常の風景から産業が消えつつあります。これは憂慮すべきことかもしれません。
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タクシーはなぜか途中でガソリンスタンドへ。ガスで走る車の燃料入れる方法をはじめて見ました。途中で同じ方向への違うお客さんを乗せたりしてなかなか目的地に着きません。
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近郊のバスターミナルに到着。晋州行きのバスは長蛇の列。係員にお前は外国人だろうということで列の最初に割り込ませてもらいました。ほとんど外国人は来ないところのようです。助かりました。
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マイクロバス(?)で約1時間,,一面のとうもろこし畑の中を走ります。しかし道は幹線道路のようでよく整備されていました。
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晋州に到着。石家荘よりもさらに地方都市です。晋州市は石家荘市に属する県級市だそうです。詳しくは中華人民共和国の行政区分を参照。
投稿者 tisobe : 09:58 | コメント (1) | トラックバック
2006年10月05日
中国弾丸ツアー(その2)
飛行機の中におみやげを忘れてしまい,空港でごたごたしているうちにホテル到着が午前2時頃になってしまった。しかし北京ならば24時間営業の店が結構ある。夜遅く着いたら牛肉面,これ常識。タクシー代は100元くらいかかりました。どうなっているんでしょう。
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この建物は駅です。今回の目的の1つである中国人留学生の家を訪ねるために,華北省の石家荘までの切符を買う。最初北京駅に行ったが,どうやらその方面へのほとんどの列車は北京西駅からの発車らしい。ものすごい行列で切符を買うのは大変です。中国語はリズムが大切です。同じ発音でも窓口に向かって叫ぶくらいでないと通じません。
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T517次北京西発石家荘行きに乗車。車内にはテレビもあり,時間も1分以内の割と正確な定時運行。中国鉄路もなかなかのものです。
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石家荘に着いたのは夕方。ホテルにチェックインして留学生と連絡をとるためにネットカフェ(?)に行ったりする。意外とここからが遠いらしいということが判明。列車の切符はもう売り切れでした。明日10月1日は国慶節,中国人が国民的に大移動する時期です。
投稿者 tisobe : 01:50 | コメント (0) | トラックバック
2006年10月02日
中国弾丸ツアー(その1)
9月29日(金),午前中にいくつかの用事をすませて14時ごろ大学を出発しました。移動はもちろん品川から成田エクスプレス。一番早くて確実な移動方法です。
今回のフライトはノースウエスト航空11便1825成田発。使用機材はA330-200,スポット27。ほぼ定刻どおりに出発し使用滑走路は34L,今回の座席は右側でしたので,滑走路に入るとき夕方の滑走路の航空灯火がとても綺麗でした。残念ながら写真は撮れませんが。(ちなみにこの航空灯火は真上からは見えないようです。離着陸時のコックピットの視線からしか見えないように工夫されているのでしょうか。)
続きは随時書き込んでいきます。
参考URL
http://www.kushiro-airport.co.jp/picture/lighting_system.gif
投稿者 tisobe : 20:54 | コメント (1) | トラックバック
2006年06月10日
ドイチュランド4
Koln到着からの続きです。
大聖堂はあまりに大きく1枚の写真に収めるのは困難です。(かなり広角のレンズがいるでしょう。サンピエトロみたいに遠くから撮れるスペースもありません。)
だいたいわかるでしょうか。この大きさ。
中はこのような感じになっています。到着した夜は儀式のようなものをやっていたため写真はありませんが、パイプオルガンや鐘の音が幻想的でした。天井が高いドームというのはすばらしい音響効果をもたらすのでしょうか。教会が何のために建てられているのか考えさせられるほど壮大なつくりです。
翌朝早く、帰国のため鉄路アムステルダムへ。国境付近でよく風景を眺めていましたが、どこが国境なのかはわかりませんでした。ヨーロッパは1つの国のようです。
時間に余裕があったのですが、空港に行く列車を間違えてなんでもないアムステルダム近郊の町に降り立ってみました。
ヨーロッパの町はどこも静かです。そして自転車が多いです。電車に自転車を持ち込んで移動するのはあたりまえのようです。精神的に進んでいますね。
アムステルダム・スキポール空港。KLMカラーに塗装された車がたくさんとまっています。しかも各車屋根に回転するアンテナのようなものをつけています。空母とかのマストについているレーダーのような感じです。視界が悪いときに使うのでしょうか。
帰路の機材も777。スキポールでのKLMはエコノミーの客はすべて自動チェックインで荷物だけカウンターという日本の国内線のような感じの手続き。セキュリ